2月16日【特集2件】 「日本の外交防衛や歴史や精神」 「平成の大学の変化一般」
【特集2件】
「日本の外交防衛や歴史や精神」
「平成の大学の変化一般」
【日本の防衛外交や歴史や精神】
□「軍事政権とその失敗」
◇安倍総理の防衛政策を概観し総括すると、安倍総理はどうも自衛隊の支配力を強めたいだけのようです。すなわち、軍事政権を作りたいというのが本音のようです。これはアフリカや南米や東南アジアの政府に似ています。また過去の戦争中の日本も、薩摩長州の藩閥を中心とする軍事政権でした。しかしこれは、先進国の政府体制ではありません。(最近の日本では、麻生氏の言うように、軍事政権を軍事的にではなく合法的にヒットラーのように作ろうということが決定されたようです。)
◇日本では軍事政権ができると、例え相手が強くても対外的に戦争をしかけようとする意識が強く出過ぎるだろうことがすぐに想像できます。壊滅的敗戦になることがほぼ確実な場合にさえ日本は戦争をしかけます。日本の軍事政権には、国際的にある程度妥協もしながら、世界平和を保とうという意識は少ないように感じます。(軍事政権は、平和外交をせずに、戦争をすることばかりを考え危険です。国際的に協調しようとはしません。パリ不戦条約の精神がわかっていないようです。) 日本の軍事政権は大失敗をするクセがあり、このような方向は抑制すべきだと思います。□
□「515事件の意味」
日本が平和的な幣原喜重郎の外交から好戦的な政治外交に転換した大きな契機は、515事件の犬養毅の暗殺です。このようなことをしなければ、戦争の悲惨な結末もなかったかもしれません。 本来なら犬養毅暗殺は大逆事件(天皇暗殺)と似たような扱いにすべきはずでした。10人くらいは処刑してもよいくらいの犯罪だったと思います。日本人は515事件の責任問題を永久に忘れているように思います。日本軍を引き継ぐ自衛隊は、生まれながらにして原罪を背負っていると考えるべきだと思います。従って自衛隊は、軍事的な膨張や好戦的な精神を、みずから抑制する精神を持つべきなのだと思います。平和憲法をなくそうなどとはもってのほかです。(自衛隊が日本軍の後継団体であり日本軍の精神を引きずっていることは、様
々な動きからわかります。自衛隊は旭日旗を使うことを好み、教育勅語も大好きなようです。)□ 自衛隊の存在も防衛的戦闘も、憲法解釈によって認められています。ただし自衛隊内部にはまだ戦前戦中のような間違った精神論による暴力的な不祥事が頻繁しています。このような不祥事や精神論がなくなったら褒美として、憲法に最低限の実力組織の存在を書き込んでもよいと思います。これが本来の文民統制の形だと思います。文民統制は憲法にも書いてあります。□
□「戦争と精神論」
◇最近では愛国心教育が強化されています。しかし特に近代戦争では、精神論や根性や愛国心だけでは勝てません。緻密な作戦戦略や冷静な判断が必要だと思います。様々な近代的な設備や兵器も必要だと思います。常に、根性で戦うのではなく冷静に判断する場面も必要だと思います。風林火山の精神が重要になると思います。戦争方法は、外交に繋がる部分があり、外交の裏には武力があります。戦争の中にも外交的冷静さが必要だと思います。(毛沢東が似たようなことを言ったと思います。)
◇自衛隊にはまだ教育勅語のような精神論が強いようです。しかし、訓練を受けない素人が最前線で根性だけで戦っても、また素手で命懸けで戦っても、効果のない下手な攻撃で無駄死にするだけです。命懸けで戦うような危険な任務は、充分に訓練を積んだ海兵隊のような組織に任せるべきだと思います。(戦国時代なら、赤備えになります。) 素人には、兵たんや救護のような後方支援が向いているかもしれません。(機械整備などは、後方支援の専門職になります。)□
□「戦前の日本のもしも」
日本は、近代になって初めて敗戦することによって、欧米を中心とする国際社会の一員として認知されて、仲間になったという見方もあるかもしれません。(雨降って地固まるというのには、あまりにも犠牲の多過ぎる代償でした。) もし、日本が満州から引き朝鮮半島だけを死守したらどうなったかという仮定も考えてしまいます(小日本主義)。(中国は弱く満州はロシアの土地になったかもしれません。満州の争奪戦争で、日本には特需があったかもしれません。朝鮮戦争はなく朝鮮半島の分裂はなかったかもしれません。) 日中戦争がなかったら、中国はイギリスのものになり、国民党はイギリスと独立戦争をしたかもしれません。□
□「東アジアの武力均衡」
大国が軍備拡張競争に走る中で日本はどのような外交をすべきかというのが、これからの大きな課題だと思います。アメリカは日本とは仲がよいものの、次第に日本を守る意識は減り、アジアの軍事費を抑制する動きもあります。中国はアメリカと次第に強く対立するようになるはずです。そして、日本を仲間に引き入れようという動きが盛んになりました。反日運動は減り、日本との親密な会議が増えました。しかし本心では、嫌いな日本と仲良くせざるをえない状況を仕方ないと諦めているかもしれません。中国は心の底では日本を攻撃し支配したいのだと思います。ロシアは領土を離そうとはしません。しかし経済的に困窮しており、日本からの様々な援助は大歓迎です。(ロシアが中国に軍事対抗するなら経済援助もよいと思います
。ヨーロッパ諸国も、このような方向で対応してほしいように感じます。クリミアのことを強く非難するのはよくないかもしれません。) 北朝鮮は、東アジアの軍事バランスを複雑にする要因になっています。大国が北朝鮮対策に忙殺されている最中には、大国間の衝突はないと思います。韓国には南北統一して、核の力を手に入れたいという気持ちがあるかもしれません。また、世界の新興国と先進国との軍事対立も重要な要素になるかもしれません。□
□「日本の立ち位置」
これからの日本外交には、等方位外交や武装中立などが重要な選択肢として上がってくるかもしれません。これは、綱渡りの危険で難しい外交です。(ただし北朝鮮は、これによって生き残ってきました。) 日本はスイスにも少し似ているかもしれません。スイスは山で隔離されており、日本は海で隔離されています。日本は、オランダあたりの状況にも似ているかもしれません。先進国でも武力は少ないように感じます。日韓が連合すれば強い勢力になります。しかしこれは国際的には反対されます。敗戦国が過去と似た過ちを犯すことを危険視されています。また、韓国は大反対します。□
【平成の大学の変化(概要)】「社会部」(2月8日)
◇「大学学費」 日本の高等教育(大学教育)への公費負担の割合は、OECD加盟国中、下から2番目であり、3割強でしかありません(2015年)。平均の7割まで上げて当然だろうという主張があります。家計をやりくりして生活費や住居費などを犠牲にして教育費を捻出している姿が浮かびます。(すねかじりが多いことになります)。□
◇「予算の選択と集中」 大学の予算配分にはいろいろな意見があります。選択と集中、萌芽的研究へのばらまき、という対立もあります。 日本では、論文で評価されても産業に結び付かないところに集中する悪い動きがあるようです。産業界や学会の多数決で決める研究開発は、必ずしも産業化に結び付くわけではありません。膨大な予算があれば簡単に論文が書ける研究では、日本はアメリカと中国の研究競争に追いつくことができない現状があります。(勝ち目があり産業化に結び付く可能性が高い研究なら、文部科学省ではなく経産省が主体となって選択と集中をすべきだと感じます。)□
◇「予算のバラマキ」 バラマキといっても、地方駅弁大学のような、ありきたりの研究へのバラマキには意味がないと思います。 中央の大学にはないような個性的なテーマには、最低限の予算をバラまくべきだと思います。これは馬鹿にされても、発展すれば一発逆転の実用化に結び付くかもしれません。(地方大学からNASAに注目されるような技術が育った話もあります。) このような判断は、中央の大学の御用先生にはできない問題があります。ここでは、伝統と革新の釣り合いが微妙になり、制度では明確に規定できない問題があります。 現状を見ると、自由な発想でじっくり研究できる環境がより重要なはずです。これによって、日本の科学技術の将来の発展は保障されると思います。ノーベル賞は目的ではなく科学技術政策
の結果でしかありません。ノーベル賞の周囲には、より沢山の良い研究成果が存在しているはずです。□ 全ての大学の研究方向を、中央の大学が強く管理すると、研究の多様性や独創性がなくなり、科学技術の将来発展はないように感じます。二つの方向のさじ加減が問題であり重要だと思います。□
◇「研究予算の削減」 国立大学の法人化を推進する理由の本音は、予算の削減でした。そして、足りない分は自分で確保しろということになりました。この結果として、教授は研究ではなく、予算確保のための作業に追われるようになってしまいました。(古臭い研究ばかり大げさにして評価されようとするな、という意味では、予算削減もよいのかもしれません。予算を増やすと仕事が機械的な単純作業になり創造的ではなくなるという主張が企業にはよくありました。ただし最近では、反対派の勢力が強くなり、予算を沢山取り、高卒のするような単純作業を大卒院卒にさせるような状況になりました。)□
◇「博士の量産」 日本の大学は、ドクター(博士)を量産するようになりました。しかし、就職できない高学歴者を量産してしまいました。(大学の国際標準ばかりを追いかけてしまい、ドクターが日本で受け入れられるかという市場調査をしなかったことになります。これは計画段階の基本的なミスだといえる。文部科学省はなんと無計画な馬鹿なことをしたのだろうかと思います。ドクターは、かなり専門性が合わないと就職できないとは、以前から言われていたことでした。)□ ◇企業などは本音では、ドクターの採用をあまりしたくなかったということになります。というより、企業には高学歴者を毛嫌いする風潮があります。 企業には、高度な仕事内容を評価する能力がありません。工場的な単純作業なら評価の対象になりま
す。そしてドクターなどは、工場的な多数決で評価されることになります。 また、(高度な)仕事を熱心にする人間を日本企業は嫌うようです。(単純作業を沢山速くする人間を好みます。) 日本では、研究開発部門でも、酒を飲み大騒ぎすることで出世する傾向が強くあります。酒をのみ、違う研究開発のあることないことを言って悪い噂を流して足を引いて、のし上がるような動きも感じます。(日本では、単細胞で元気で感情的な人間が東大の中でも出世するようです。本来なら、このような文化や人事を日本の組織一般からなくすことが、国際化への第一歩だといえると思います。日本では、ドクターを増やすことは、国際化には繋がりません。日本の酒飲み文化の悪い風習を考慮したら、ドクター増員計画が失敗することは、すぐに
わかったと思います。)□
◇「大学の危機と国際化」
日本の知性の学府(大学)は、危機に瀕しているようです。論文を沢山書いても任期なしの職にはなかなか就けないといいます。また、職に就いても、研究や教育以外の新規の事務的な業務が次々と待っているといいます。 文部科学省の真意を忖度するのが難しくなっているようです。大学嫌いの役人は、場当たり的な思いつきによって大学をイジメたいだけなのかもしれないとまで感じます。 グローバル馬鹿が上にいることは確実です。文部科学省は、英語による授業を増やし外国人の学生や教師を増やそうとしています。また、グローバルの名のつく大学や学部を上部に置こうとしています。(これは、学術的な日本語の放棄になっています。) 文系学部を廃止するという動きさえあります。文部科学省は、非常に浅く考えた机上の軽
い改革を強行に進めているように感じます。 この中で、大学改革の嵐から逃れた特権的な大学を作り、そこで、研究と教育だけに打ち込んではどうかという提案があります。□
◇「英語の入試」
大学入試に英語の民間試験を使おうとすると、問題点が山積し過ぎており、まともに実施できないだろうことがすぐにわかります。苦労して試験を実施しても、受験生や実施機関の負担が大き過ぎ、しかも、高度な能力の公平な判断は難しいと思います。民間試験は一般的にレベルが低く、これを神様のように信頼し崇拝する文部科学省の人間は、英語が非常に苦手でコンプレックスを持っているとしか思えません。民間試験でさえ、実用英語の能力を正しく試験できるわけではありません。民間試験は、大量の受験生を効率的に処理できることを最優先に考えて作られており、正しい実力の判定は犠牲にされていると思います。(日常生活の実用英語レベルなら、中学生で完成して終わりにすべきであり、大学入試で扱うような問題ではあ
りません。) 文部科学省やその上には、グローバル馬鹿が沢山いることが想像できます。□(2月8日)
「古臭い研究の位置づけ」
経済団体の言うカビの生えたような古い伝統的な研究というのは、中央の大学のほうに多いように感じます。(さらにこれは論文になり易く、拡大しやすいように感じます。また企業では、レベルの低い古い研究テーマの人間ほど大威張りする傾向を感じます。) このような研究は、教育を兼ねる雰囲気を感じます。すなわち、講義の延長の感覚になります。ここでは、伝統とイノベーションの釣り合いや駆け引きの問題が出ると思います。(一方で、古臭く見えても先端産業で重要な役割を果たす技術もあります。)□
「日本の外交防衛や歴史や精神」
「平成の大学の変化一般」
【日本の防衛外交や歴史や精神】
□「軍事政権とその失敗」
◇安倍総理の防衛政策を概観し総括すると、安倍総理はどうも自衛隊の支配力を強めたいだけのようです。すなわち、軍事政権を作りたいというのが本音のようです。これはアフリカや南米や東南アジアの政府に似ています。また過去の戦争中の日本も、薩摩長州の藩閥を中心とする軍事政権でした。しかしこれは、先進国の政府体制ではありません。(最近の日本では、麻生氏の言うように、軍事政権を軍事的にではなく合法的にヒットラーのように作ろうということが決定されたようです。)
◇日本では軍事政権ができると、例え相手が強くても対外的に戦争をしかけようとする意識が強く出過ぎるだろうことがすぐに想像できます。壊滅的敗戦になることがほぼ確実な場合にさえ日本は戦争をしかけます。日本の軍事政権には、国際的にある程度妥協もしながら、世界平和を保とうという意識は少ないように感じます。(軍事政権は、平和外交をせずに、戦争をすることばかりを考え危険です。国際的に協調しようとはしません。パリ不戦条約の精神がわかっていないようです。) 日本の軍事政権は大失敗をするクセがあり、このような方向は抑制すべきだと思います。□
□「515事件の意味」
日本が平和的な幣原喜重郎の外交から好戦的な政治外交に転換した大きな契機は、515事件の犬養毅の暗殺です。このようなことをしなければ、戦争の悲惨な結末もなかったかもしれません。 本来なら犬養毅暗殺は大逆事件(天皇暗殺)と似たような扱いにすべきはずでした。10人くらいは処刑してもよいくらいの犯罪だったと思います。日本人は515事件の責任問題を永久に忘れているように思います。日本軍を引き継ぐ自衛隊は、生まれながらにして原罪を背負っていると考えるべきだと思います。従って自衛隊は、軍事的な膨張や好戦的な精神を、みずから抑制する精神を持つべきなのだと思います。平和憲法をなくそうなどとはもってのほかです。(自衛隊が日本軍の後継団体であり日本軍の精神を引きずっていることは、様
々な動きからわかります。自衛隊は旭日旗を使うことを好み、教育勅語も大好きなようです。)□ 自衛隊の存在も防衛的戦闘も、憲法解釈によって認められています。ただし自衛隊内部にはまだ戦前戦中のような間違った精神論による暴力的な不祥事が頻繁しています。このような不祥事や精神論がなくなったら褒美として、憲法に最低限の実力組織の存在を書き込んでもよいと思います。これが本来の文民統制の形だと思います。文民統制は憲法にも書いてあります。□
□「戦争と精神論」
◇最近では愛国心教育が強化されています。しかし特に近代戦争では、精神論や根性や愛国心だけでは勝てません。緻密な作戦戦略や冷静な判断が必要だと思います。様々な近代的な設備や兵器も必要だと思います。常に、根性で戦うのではなく冷静に判断する場面も必要だと思います。風林火山の精神が重要になると思います。戦争方法は、外交に繋がる部分があり、外交の裏には武力があります。戦争の中にも外交的冷静さが必要だと思います。(毛沢東が似たようなことを言ったと思います。)
◇自衛隊にはまだ教育勅語のような精神論が強いようです。しかし、訓練を受けない素人が最前線で根性だけで戦っても、また素手で命懸けで戦っても、効果のない下手な攻撃で無駄死にするだけです。命懸けで戦うような危険な任務は、充分に訓練を積んだ海兵隊のような組織に任せるべきだと思います。(戦国時代なら、赤備えになります。) 素人には、兵たんや救護のような後方支援が向いているかもしれません。(機械整備などは、後方支援の専門職になります。)□
□「戦前の日本のもしも」
日本は、近代になって初めて敗戦することによって、欧米を中心とする国際社会の一員として認知されて、仲間になったという見方もあるかもしれません。(雨降って地固まるというのには、あまりにも犠牲の多過ぎる代償でした。) もし、日本が満州から引き朝鮮半島だけを死守したらどうなったかという仮定も考えてしまいます(小日本主義)。(中国は弱く満州はロシアの土地になったかもしれません。満州の争奪戦争で、日本には特需があったかもしれません。朝鮮戦争はなく朝鮮半島の分裂はなかったかもしれません。) 日中戦争がなかったら、中国はイギリスのものになり、国民党はイギリスと独立戦争をしたかもしれません。□
□「東アジアの武力均衡」
大国が軍備拡張競争に走る中で日本はどのような外交をすべきかというのが、これからの大きな課題だと思います。アメリカは日本とは仲がよいものの、次第に日本を守る意識は減り、アジアの軍事費を抑制する動きもあります。中国はアメリカと次第に強く対立するようになるはずです。そして、日本を仲間に引き入れようという動きが盛んになりました。反日運動は減り、日本との親密な会議が増えました。しかし本心では、嫌いな日本と仲良くせざるをえない状況を仕方ないと諦めているかもしれません。中国は心の底では日本を攻撃し支配したいのだと思います。ロシアは領土を離そうとはしません。しかし経済的に困窮しており、日本からの様々な援助は大歓迎です。(ロシアが中国に軍事対抗するなら経済援助もよいと思います
。ヨーロッパ諸国も、このような方向で対応してほしいように感じます。クリミアのことを強く非難するのはよくないかもしれません。) 北朝鮮は、東アジアの軍事バランスを複雑にする要因になっています。大国が北朝鮮対策に忙殺されている最中には、大国間の衝突はないと思います。韓国には南北統一して、核の力を手に入れたいという気持ちがあるかもしれません。また、世界の新興国と先進国との軍事対立も重要な要素になるかもしれません。□
□「日本の立ち位置」
これからの日本外交には、等方位外交や武装中立などが重要な選択肢として上がってくるかもしれません。これは、綱渡りの危険で難しい外交です。(ただし北朝鮮は、これによって生き残ってきました。) 日本はスイスにも少し似ているかもしれません。スイスは山で隔離されており、日本は海で隔離されています。日本は、オランダあたりの状況にも似ているかもしれません。先進国でも武力は少ないように感じます。日韓が連合すれば強い勢力になります。しかしこれは国際的には反対されます。敗戦国が過去と似た過ちを犯すことを危険視されています。また、韓国は大反対します。□
【平成の大学の変化(概要)】「社会部」(2月8日)
◇「大学学費」 日本の高等教育(大学教育)への公費負担の割合は、OECD加盟国中、下から2番目であり、3割強でしかありません(2015年)。平均の7割まで上げて当然だろうという主張があります。家計をやりくりして生活費や住居費などを犠牲にして教育費を捻出している姿が浮かびます。(すねかじりが多いことになります)。□
◇「予算の選択と集中」 大学の予算配分にはいろいろな意見があります。選択と集中、萌芽的研究へのばらまき、という対立もあります。 日本では、論文で評価されても産業に結び付かないところに集中する悪い動きがあるようです。産業界や学会の多数決で決める研究開発は、必ずしも産業化に結び付くわけではありません。膨大な予算があれば簡単に論文が書ける研究では、日本はアメリカと中国の研究競争に追いつくことができない現状があります。(勝ち目があり産業化に結び付く可能性が高い研究なら、文部科学省ではなく経産省が主体となって選択と集中をすべきだと感じます。)□
◇「予算のバラマキ」 バラマキといっても、地方駅弁大学のような、ありきたりの研究へのバラマキには意味がないと思います。 中央の大学にはないような個性的なテーマには、最低限の予算をバラまくべきだと思います。これは馬鹿にされても、発展すれば一発逆転の実用化に結び付くかもしれません。(地方大学からNASAに注目されるような技術が育った話もあります。) このような判断は、中央の大学の御用先生にはできない問題があります。ここでは、伝統と革新の釣り合いが微妙になり、制度では明確に規定できない問題があります。 現状を見ると、自由な発想でじっくり研究できる環境がより重要なはずです。これによって、日本の科学技術の将来の発展は保障されると思います。ノーベル賞は目的ではなく科学技術政策
の結果でしかありません。ノーベル賞の周囲には、より沢山の良い研究成果が存在しているはずです。□ 全ての大学の研究方向を、中央の大学が強く管理すると、研究の多様性や独創性がなくなり、科学技術の将来発展はないように感じます。二つの方向のさじ加減が問題であり重要だと思います。□
◇「研究予算の削減」 国立大学の法人化を推進する理由の本音は、予算の削減でした。そして、足りない分は自分で確保しろということになりました。この結果として、教授は研究ではなく、予算確保のための作業に追われるようになってしまいました。(古臭い研究ばかり大げさにして評価されようとするな、という意味では、予算削減もよいのかもしれません。予算を増やすと仕事が機械的な単純作業になり創造的ではなくなるという主張が企業にはよくありました。ただし最近では、反対派の勢力が強くなり、予算を沢山取り、高卒のするような単純作業を大卒院卒にさせるような状況になりました。)□
◇「博士の量産」 日本の大学は、ドクター(博士)を量産するようになりました。しかし、就職できない高学歴者を量産してしまいました。(大学の国際標準ばかりを追いかけてしまい、ドクターが日本で受け入れられるかという市場調査をしなかったことになります。これは計画段階の基本的なミスだといえる。文部科学省はなんと無計画な馬鹿なことをしたのだろうかと思います。ドクターは、かなり専門性が合わないと就職できないとは、以前から言われていたことでした。)□ ◇企業などは本音では、ドクターの採用をあまりしたくなかったということになります。というより、企業には高学歴者を毛嫌いする風潮があります。 企業には、高度な仕事内容を評価する能力がありません。工場的な単純作業なら評価の対象になりま
す。そしてドクターなどは、工場的な多数決で評価されることになります。 また、(高度な)仕事を熱心にする人間を日本企業は嫌うようです。(単純作業を沢山速くする人間を好みます。) 日本では、研究開発部門でも、酒を飲み大騒ぎすることで出世する傾向が強くあります。酒をのみ、違う研究開発のあることないことを言って悪い噂を流して足を引いて、のし上がるような動きも感じます。(日本では、単細胞で元気で感情的な人間が東大の中でも出世するようです。本来なら、このような文化や人事を日本の組織一般からなくすことが、国際化への第一歩だといえると思います。日本では、ドクターを増やすことは、国際化には繋がりません。日本の酒飲み文化の悪い風習を考慮したら、ドクター増員計画が失敗することは、すぐに
わかったと思います。)□
◇「大学の危機と国際化」
日本の知性の学府(大学)は、危機に瀕しているようです。論文を沢山書いても任期なしの職にはなかなか就けないといいます。また、職に就いても、研究や教育以外の新規の事務的な業務が次々と待っているといいます。 文部科学省の真意を忖度するのが難しくなっているようです。大学嫌いの役人は、場当たり的な思いつきによって大学をイジメたいだけなのかもしれないとまで感じます。 グローバル馬鹿が上にいることは確実です。文部科学省は、英語による授業を増やし外国人の学生や教師を増やそうとしています。また、グローバルの名のつく大学や学部を上部に置こうとしています。(これは、学術的な日本語の放棄になっています。) 文系学部を廃止するという動きさえあります。文部科学省は、非常に浅く考えた机上の軽
い改革を強行に進めているように感じます。 この中で、大学改革の嵐から逃れた特権的な大学を作り、そこで、研究と教育だけに打ち込んではどうかという提案があります。□
◇「英語の入試」
大学入試に英語の民間試験を使おうとすると、問題点が山積し過ぎており、まともに実施できないだろうことがすぐにわかります。苦労して試験を実施しても、受験生や実施機関の負担が大き過ぎ、しかも、高度な能力の公平な判断は難しいと思います。民間試験は一般的にレベルが低く、これを神様のように信頼し崇拝する文部科学省の人間は、英語が非常に苦手でコンプレックスを持っているとしか思えません。民間試験でさえ、実用英語の能力を正しく試験できるわけではありません。民間試験は、大量の受験生を効率的に処理できることを最優先に考えて作られており、正しい実力の判定は犠牲にされていると思います。(日常生活の実用英語レベルなら、中学生で完成して終わりにすべきであり、大学入試で扱うような問題ではあ
りません。) 文部科学省やその上には、グローバル馬鹿が沢山いることが想像できます。□(2月8日)
「古臭い研究の位置づけ」
経済団体の言うカビの生えたような古い伝統的な研究というのは、中央の大学のほうに多いように感じます。(さらにこれは論文になり易く、拡大しやすいように感じます。また企業では、レベルの低い古い研究テーマの人間ほど大威張りする傾向を感じます。) このような研究は、教育を兼ねる雰囲気を感じます。すなわち、講義の延長の感覚になります。ここでは、伝統とイノベーションの釣り合いや駆け引きの問題が出ると思います。(一方で、古臭く見えても先端産業で重要な役割を果たす技術もあります。)□
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